アインシュタインの視点と、量子力学の視点でみる「三太郎の大冒険」

絵本の読み聞かせ ドラクエ村
この記事は約6分で読めます。

 みなさん、いかがお過ごしでしょうか

こんにちは! サヘランです

最近ふとしたことで、近所を散歩して思いました、小さい子どもときに見た風景がこんなに

「箱庭」の様に狭かったんだ!って感心し、スケール感覚に違和感を感じ不思議な思いをしました。

これと同様な感覚は物理学のみる現実世界、すなわち「合意的実在」の見方にもあてはまります!

そこで、アインシュタイン以来の視点と、量子力学以降の視点でみる「三太郎の大冒険」ともいえる合意的実在の姿について、その不思議さを記事にしてみました。

そして、私たちの背後に”遺伝子”とそれを外部から編さんして来た”地球環境”があるように

目に映る「合意的実在」の物語を創っている、背後にあるはずの「バックグラウンド」についても一歩踏み込んでみたいと思います。

それではみなさん、しばしのお付き合いのほど

スポンサーリンク

現代物理学を応用した現代は、まさに「三太郎の大冒険」のよう!

 MIT教授マックス・テグマーク著『数学的な宇宙(講談社)』にてらせば、「外的実在」と呼ばれるものは、物理的世界のことで、人間が存在しなくても存在するものです。

「合意的実在」と呼ばれるものは、物理的世界に関する記述・説明のうち、意識を持つ観測者が合意し共有するもののこととなります。

たとえれば、浦島太郎がいなくても、金太郎がいなくても、桃太郎がいなくても、亀のいじめっ子や乳母や爺さん婆さん達は、その時代にそれなりに普通に暮らしていたことでしょう。

主人公の「三太郎」達は、その昔に生まれいろいろな行為(観測し実行)を起こすことで、周りの人たちを巻き込んで物語が展開していきました!

浦島太郎イメージ
浦島太郎イメージ:引用元

「外的実在」を数学的に記述するときに現われる距離と時間は「合意的実在」として認識される距離と時間とは異なっていて、両者の差は運動速度に依存している、ということをアインシュタインは「相対性理論」で明らかにしました。

たとえば、飛行機が私たちの上を飛ぶ場合、その私たちの合意的実在としては、飛行機の長さは離陸前より短く、機内の時計の進みは自分たちの時計の進みより遅くなります(浦島効果)
浦島効果の分りやすい図解を使った関連記事は、ブログカードからご覧ください

また、「外的実在」の数学的記述に現われる「曲がった空間」が、「合意的実在」としては「重力」として私たちに認識されることもアインシュタインが初めて明らかにしました。

金太郎イメージ
金太郎イメージ:引用元

金太郎のもつ身体の何十倍もある巨石をお手玉にして遊んだりできる怪力は、宇宙各所で驚くべき怪力を発揮する万有引力すなわち「重力」にその発想があることは明らかです。
重力の効果の関連記事は、ブログカードからご覧ください。

さらには量子力学の発見以降「外的実在」は「ヒルベルト空間」とその中を決定論的に時間発展する「波動関数」によって記述されうるのですが、「合意的実在」としては、「物事は見かけ上ランダムに起こり、その確率分布波動関数から高精度に計算できる」と私たちには認識されているのです。

桃太郎イメージ
桃太郎イメージ:引用元

桃太郎の物語では、彼は成長しきび団子(という粒)をやり取りしてイヌ、サル、キジの仲間を手に入れ、ついには鬼ヶ島で大暴れするエネルギーを手に入れます(量子論的原子核の構造!)、出生の桃から生まれたことは、果物大から始まるインフレーション宇宙論(量子力学の宇宙論)にも通じますよね!
量子力学の感覚的理解には関連記事があります、ブログカードからご覧ください。

現代の物理学的な知の力を背景にした社会の発展は、まさに「三太郎の大冒険」そのものなのです!

「三太郎」がもし”引きこもりのオタク”であったとしても物語はあるのでしょうか?

 現代社会のなかではスマホなどの応用品の普及に比べ、製品化のための技術開発の合意的観測者それ自体が稀な存在と思われるのですが、その彼らでも全員が実は同じ「歪んだ色眼鏡」をつねにかけているようなものです。

色眼鏡に代表される観測者の合意的実在としての見え方は、バックグラウンドとなる「外的実在」の数学的記述と比べて、ほとんどの場合歪んでいることになります。

高速移動するものの時計の進み方は遅れ曲がった空間は重力として認識され、ヒルベルト空間の中を決定論的に時間発展する「波動関数によって記述される外的実在」は、確率分布波動関数から確率としてのみ計算されるとされるのです。

もしも「三太郎が引きこもりのオタク」であったとしても物語はあるのでしょうか?

いじめっ子の亀を見ても知らぬふりで助けず、子どもらしく怪力なんて持ち合わせず、団子をあげて仲間たちを味方につけようなんて思わなかったとしたら(笑)

青鬼の面
鬼が元気?・イメージ

もちろん、それなりの「三太郎」の人生があり、昔話しにならない地味な物語りもあったことでしょう!

ホントは「三太郎」視点ではその時代に生きていたという事実が大事でして、物語りがドラマチックであるか否かは物語りとして享受している自分たちに比べ本人にとって重要なことではありません(笑)

その時代の背景というバックグラウンドにある、昔のある時代の1コマの歴史の進みの方が数十倍も大事ということです!

おなじように、物理学はバックグラウンドにある「外的実在の数学的記述」を深化する方向に向かって進むはずだというのが、マックス・テグマーク著『数学的な宇宙(講談社)』の内容の主張なのでしょう。

数学的記述とは、物理的対象を要素とその関係性として方程式でとらえることで、科学はこれまでその方法で成功してきたし、この先も成功する可能性があるというのです。

私たちは常日頃、ドラマチックな部分に目を奪われがちですが、その背景にある実直な現実部分の大切さにもっと目を向けるべきなのでしょう!

「三太郎」はそれぞれのドラマチックな物語をホントに望んだか?

 いかがでしたでしょうか

アインシュタイン以来の視点と、量子力学以降の視点でみる「三太郎の大冒険」ともいえる合意的実在の姿については

それは、「三太郎」の主人公としての性分がドラマチックな物語りを展開するように…

物理学が与える、観測者の現象の捉え方「合意的実在」にドラマチックな視点を投げかけました!

そして、そのドラマチックな部分を創り上げる、背景になるバックグラウンド「外的実在」の大切さを知りました!

サヘラン的にはスマホの便利さにばかり目を奪われないで、その背景となる生活の質を大切にしようと思います!

みなさんの、生活にも何かの気づきとなれば幸いです!

最後までご覧いただきありがとうございます

コメント

タイトルとURLをコピーしました