こんにちは!サヘランです。 みなさん、いかがお過ごしでしょうか
価値観に焦点を当てている当ブログ、新しい年になりちょっと考えをめぐらしてます
現代の根本的な価値って、いったい何でしょう?
現代人の絶対価値は「金銭と利潤」であるといっても、多くの人はうなずくと思えます。
しかし時代をさかのぼってみると、近世までの西欧での絶対価値と真理は「キリスト教道徳」でした。
この19世紀までのキリスト教道徳をニーチェはありもしない価値(彼岸)を信じ込ませる宗教だと解釈して…
その道徳は本物でない、生きている人間のためではないと考えたのがニーチェでした。
さて、この「ニーチェ」のお考え、哲学は現代に生きる我々にも通用するのでしょうか?
参照元:超訳『ニーチェの言葉』フリード・ニーチェ 白取春彦編訳 版ディスカヴァー・トゥエンティワン
それではみなさん、しばしのお付き合いのほど
「我々は永遠の無の中を漂っているのではないだろうか」だからニヒリズムから逃げない
結論からいうと、近代の「金銭や利潤」は現代の新しい絶対価値だろうかとの問いかけに対して
ニーチェは、これを「神の代替物として」の価値だとします。
つまりは、ニヒリズムから逃げるための新しいニヒリズムだと批判したのです‼
ニヒルはラテン語で「無」という意味でして、ニヒリズムは「虚無主義」と訳されていることが多いそうです。
たしかに、現代は価値の相対化によって絶対価値がないという状態だから、ニヒリズムの時代ともいわれます。
かといって無の中を漂っては、なかなか生きては行けないので、神の代替として「金銭や利潤」を追っかけているのが現代人の姿だといえそうです。
現代を生きるみなさんは、どんなふうにこのことを考えますか?
ニーチェはニヒリズムの哲学者ではない、むしろニヒリズムを批判したのがニーチェだった
昔から、ニーチェについては、流言飛語や誤解のたぐいは少なくないようです
やれ、ナチスの思想の土台となった、ニヒリズムの哲学を流布させた、反ユダヤ主義だったなどなど
これらは、悪質なデマだったり、ニーチェの妹の行動(ナチズムに接近)から誤解が大きく広まったものでした。
どちらかというならば、反宗教という側面がつよかったようですが、宗教の何を嫌ったか…
おしなべて、宗教というものが彼岸(神とかあの世とか無限性)に道徳の尺度を押しつけようとするからでした。
そうでなく、もっとこの世に生きている人間の道徳が必要だとニーチェは考えます。
ニーチェの思想が「生の哲学」と呼ばれることになる理由が実はこんなところにあるのです!
現代人の絶対価値とされる「金銭と利潤」に逃げない生き方はあるのか
しかしながら、わたしたち現代人を取り巻く環境とその絶対価値は 「金銭と利潤」 です
人間はどこかに絶対価値を見出してないと不安で耐えられないのです。
何かを信じてないと生きられない…たしかに身につまされる思いでいるのですが
この自ら信じるものが、ニーチェのいう「生の哲学」であるならばどうでしょうか
「力強い生気」「不屈の魂」「高みを目指す意志」「急所を突く鋭い視点」など
今生きている人間のための哲学であるなら、ニヒリズムから逃げるための「絶対価値など」は
重要な尺度とならないのではないでしょうか!
サヘランも思います、いくらアクセク稼いでも、アレはあの世には持っていけませんからねぇ…
「今の道徳への疑いが世界を席巻するようになるだろう」とのニーチェの予言
みなさん、いかがでしたでしょうか
ニーチェの遺稿をまとめた『力への意志』で書かれたように
「今の道徳への疑いが世界を席巻するようになるだろう」 との、予言めいた世の中にならないためにも
ニーチェの「生の哲学」は考え方として、生き方のよいヒントになるのではないでしょうか
ほんの僅かですが、一端に触れてみましょう!
「少しの悔いもない生き方…今のこの人生をもう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ」
「若い人たちへ…自由な高みへときみは行こうとしている。しかしながらそういうきみは、若さゆえに多くの危険にさらされている。しかし、わたしは切に願う。きみの愛と希望を、決して捨て去ったりするな、と。きみの魂に住む気高い英雄を捨てるな、と。きみの希望の最高峰を、神聖なるものとして保ち続けてくれ」
「良いことへの道…すべての良い事柄は、遠回りの道を通って目的へと近づいていく」
ー『ツァラトゥストラはかく語りき』よりー
それではみなさん、最後までご覧いただきありがとうございます
コメント